ARTの歴史
2022年3月11日
こんにちは、培養室です
本日東京の最高気温は18.7℃!そろそろ春の気配が感じられそうです
春と同時に・・・花粉症の時期もやってまいりました
現在猛威を振るっているオミクロン株は咳や鼻症状が多く出ると言われています。
熱がなければ、花粉症の症状と区別できませんよね。。
花粉に対しては早めに耳鼻科を受診して、
対策をきちんと立てねばと思います
さて、今回は生殖補助医療(ART)の歴史について
ほんの少しだけ触れたいと思います
医師の監督のもと、
患者さまからお預かりした精子や卵子を扱う技術者を胚培養士といいます。
海外ではエンブリオロジストとも呼ばれます。
世界で初めての”胚培養士”と呼ばれる人は、
イギリスケンブリッジ大学の生物学者ロバート・G・エドワーズ博士です。
彼が実施した体外受精(c-IVF)により”8細胞期胚”へ成長した胚が移植され、
世界初の体外受精児が産まれました。
現在から約44年前、1978年のことです。
当時の受精の場は試験管でしたが、その後細胞培養シャーレへと変わり、体外受精(IVF)や生殖補助技術(ART)といわれるようになりました。
国内の体外受精による妊娠は、1983年に東北大学で初めて報告されました。
以降、体外受精で生まれた子どもは2019年までの合計で71万931人となっています。
ちなみに昨年発表された2019年の出生児数は86万5239人!
そのうち体外受精で生まれた子供は6万598人で、約14人に1人が体外受精によって生まれたことになります。
1クラスに1~2人程度が体外受精で出生した可能性があると考えると、
より身近な技術に感じていただけるでしょうか
2010年、エドワーズ博士はIVFを確立した業績によって、ノーベル生理学・医学賞を受賞しました!
生殖補助医療の軌跡を振り返ると
現在の技術を確立された大先輩方の偉大さに敬服します
恐縮しすぎて緊張感のあるブログになってしまいました・・・